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ピアノから映しだされる今だけの物語
音にのせて伝えていくのは、まるで見知らぬ森やおとぎ話に誘われたかのような、心に描き出される世界。
今の気持ちにしたがって自由に奏でたい、たとえおばあちゃんになっても― ピアノをとおして表現し続ける若井さんの“今”を伺いました。
ピアニスト
若井 亜妃子
Akiko Wakai
“今の自分”を表現したい
―今回、OpusのYoutubeで演奏された2曲はどうして選ばれたのですか?
・ラヴェル ソナチネ 嬰ヘ短調より第1楽章
・ショパン マズルカ作品59−1 イ短調
ラヴェルのソナチネ 嬰ヘ短調より第1楽章は、聞きなじみのよい曲なので、まず聴いてほしいなあと。私にとっては、かわいいぬいぐるみとか動物がでてくるようなイメージで、日常に近い曲かなと思います。
マズルカはポーランドの民族の舞曲で、演奏に変化をつけやすく、間の取り方、歌い方を自由に表現できます。完璧に速く弾けるテクニックを聴かせるのでなく、「今の自分の気持ちならこう弾くなあ」ということができるので選びました。
―当初は、前衛的な現代音楽も演奏候補に入っていましたよね。
弾けるけど、今の自分が弾きたい曲ではないなと思ったんです。学生の頃、コンクールのためによく弾いていたのですが、今は、今の自分にしか出せない音を出したい。ナンバーワンよりオンリーワンになりたいと思うようになりました。
音楽が好きだった母が、私にピアノを習わせてくれたのがきっかけです。コンクールで評価されることがモチベーションになっていたように思います。
学校の勉強やTOEICで満点でなくても悔しくなかったけど、ピアノでは賞をもらいたいと思って続けていました。
すべてを勝ち負けで見ていて、いつもとげとげしていました…。いかに自分が抜きん出るかという気持ちは特に強くて…大変な人だったと思います(笑)
高校は、英語科に入りました。外国に行ってみたいなと思っていて。勉強で行くのか音楽で行くのかはわからないけど、無駄にはならないからと。
結局、ピアノでドイツ留学をしたのですが、英語が話せたことはよかったです。
師と共に世界への挑戦
―ドイツ留学ではどのように過ごされたのですか?
―海外はいかがでしたか?
世界に出てみて、今までと同じやり方では、体の大きな外国人に見映えや迫力で劣ってしまうと悩みました。どうすればよいかと考えた時に、イチローの本を読みました。小学生の頃から師事していた中野慶理先生が当時オリックスの大ファンで、バッティングやピッチに例えてピアノを教えてくれたのを思い出して。イチローもあれだけ体が小さいのに海外で活躍できたのです。日本人にしか、また彼にしかない考え方があったのではないかと。考え方を学んで、自分なりに工夫しなければいけないことがよくわかりました。
―どんな風に取り組んできたのですか?
まず、女性の筋肉の柔らかさ、しなやかさを活かして音を響かせることを心がけました。その上で、みんなが弾けない、覚えられない、読むことが難しい現代音楽を選んで勝負しました。現代曲はあまり演奏される機会が多くないため、こう弾くべきというものがなくて自由に解釈して弾けます。そこが私には優位でした。
―勝てる領域で勝負したと。
負けず嫌いですよね。ベルリン郊外の、旧東ドイツの軍基地跡地にある飛行機格納庫で開催される音楽祭の時も。みんなでベートーヴェンのピアノソナタを全曲弾こうという企画でしたが、第29番ハンマークラヴィーアはだれも弾こうとしませんでした。私はすでに2曲の演奏曲がありましたが、誰も弾かないならと手を挙げました。約50分の大曲です。練習を始めたら、ああ…これは大変だなと(笑)コンサートまで残り10日という時に第3楽章がほぼ手つかずでした。先生とその楽章を10等分して毎日練習し、全曲を通して弾けたのは当日でした。寝ても覚めてもお風呂に入ってもずっと考えながら、絶対にやってやるという気持ち。みんなが弾けないからよけいに燃えたんだと思います。
―今の若井さんの印象から、ちょっと意外です。
ハノーファー音楽演劇メディア大学の生徒たちは、本当に優秀な人たちばかりでした。過去にはショパン国際ピアノコンクールで15年ぶりの1位を受賞したユンディ・リなど世界有数のピアニストや、ハーバード大学を卒業してきた人や数学オリンピックに出場した人など。自分ではどうやっても追いつけない人たちを間近に見て、「自分は自分にできることをやろう」と考えるようになりました。コンクールは、たまたまご褒美でうかった一つの成果、というくらい価値観が変わりました。ピアノはもちろん、いろんな人に出会えたことが財産です。
ピアノを楽しいな好きだな、と意識して思えたのは帰国してからかな。今、家事や育児の合間を縫って弾ける時間はとても楽しい。ピアノを弾けることがありがたいなって思います。
―影響を受けた人はいますか?
マルクス・グロー先生は大きいですね、ピアニストとしても生き方も。私がコンクール出場のために朝5時に飛行場に向かわないといけない時に、2時ぐらいまで飲もうって誘ってくるんです。ご自身の本番前もそのような感じで。楽しむときは楽しむというメリハリが上手で、人生を楽しんでいてすごいなあと思います。
先生は1995年エリザベート王妃国際コンクールピアノ部門で優勝するほどの腕前なのに偉そうでなく、人として対等に接してくれました。「僕も勉強したいから一緒にやってみよう」って譜読みから寄り添ってくれるような姿勢は嬉しくてやる気になりました。先生が育児休暇を取らなければ、ずっと生徒さんでいっぱいだったはずです。私は運が良かったなあ。
ピアノが導く世界、音楽の力
―ピアノの魅力はどんなところにありますか?
私は喋るのが苦手なのですが、ピアノを弾いている時のほうがお喋りしているみたいで楽しくて。曲を自由に解釈できて、音楽に合わせて物語を作って伝えるっていうのは、口でやるよりずっとやりやすいと思っています。
豊中市のレジデントアーティストとして、小学校などに演奏活動に伺う時、最初に「私にとってピアノは口みたいな存在なんだよ。喋っていると思って聞いてね」ってみんなに言うんです。
―心がけていることはありますか?
音楽って…力をもっていると思います。うまくいかないことがある人の気分が少しでも晴れたり、ちょっと違う世界に行けたり。新型コロナウイルスの自粛期間に読み漁っていたビジネス書に「人のために役立つことは仕事として廃れることはない」とあって、本当だなと。誰かの悩み事を忘れられるような時間を作れたら、演奏する意味になるんじゃないかなと思っています。
ピアノと生活と。
本もですが、ドキュメンタリーも観ますね。すごい人の日常って他の人にないこだわりやストイックさがあるし。ちょっとしたことができるかどうかで違ってくると思います。また、頑張っている人に会うっていうのは大切だなと思っていて、チャンスがあれば少しでも会話しようと。あとは海を見たり、山に行ったり、いい空気を吸って。このコロナの中でも鳥はいつも通りなので、人間だけがバタバタしているんだなと思うと、自然の中にいるとほっとしますね。
そうですね。息子を保育園に預けたときにわぁっと弾きます。弾けない時はむりやり弾いてもしょうがないので、頭で思い浮かべながら家のことをしたり。不思議なのですが、学生の時のほうがはるかに練習していたのに、今のほうが、ミスタッチが少ないんですよ。
ママ業との両立で、全部つながっているんだろうなと思います。家事の段取りがピアノにつながるし、レッスンで教えていることが生活に活かせたり、ドラマや日常生活がピアノの解釈や表現に使えたり。ピアノだけでなく変化のあるライフスタイルになって楽しいなと思います。
―これからやっていきたいことはありますか?
演奏活動が増えればいいなと思います。レジデントアーティストの活動は、私だけではできない恵まれた環境にあります。自分が手掛けたことのない動画や、クラシックに興味のない人にも楽しんでもらえるような企画をしていきたいです。少しでも門を開けていけるようになりたいなと思います。
Photos 大山雄大 / Styling, Hair&Make-up 足立詠美 / Words 浅野晶
Photos 大山雄大
Styling, Hair&Make-up 足立詠美
Words 浅野晶
2020.11.02